謝謝網友江辣拍攝分享她的奶奶生前收藏的西門町「獅子林」塑膠提袋,這應該有40年歷史了。
1979年3月30日開幕的「獅子林新光商業大樓」(簡稱獅子林商業大樓、獅子林廣場或獅子林)位於台北市西寧南路36號的獅子林新光商業大樓裡,昔日來來百貨(今誠品武昌)與獅子林之間的廣場已不再,當年有許多畫家擺攤素描人像的空間,如今已被一分為二。
獅子林的西側樓面上,讓許多人印象深刻的巨幅浮雕壁畫「金珠聚鳳」,是台灣知名畫家謝孝德的作品,謝孝德為台灣倡導新寫實主義的開創人,堅持具象藝術,擅長素描、油畫、水彩、嵌畫與雕刻,為客語流行音樂人謝宇威與明星設計師謝宇書的父親。而今這幅「金珠聚鳳」彷彿像是被丟棄在廢墟裡的一幅畫,幾乎沒有人注意到它的存在。
獅子林與隔壁的誠品武昌(前身為來來百貨)、六福西門大樓,三者所在的區域在日治時期原為淨土宗的東本願寺,建築風格接近印度寺廟,是當時少見的寺廟建築風格。
1961年,東本願寺被政府改為台灣警備總司令部所用,關過不少政治犯。後來台灣警備總司令部嫌西門町過於吵鬧,於1966年搬至景美,這塊地才改建成三棟商業大樓,分別為六福西門大樓(1974年啓用)、來來百貨(1978年11月25日開幕),以及獅子林新光商業大樓(1979年3月30日開幕)。
東本願寺台北別院是日治時期建於台北市壽町(今台北市萬華區)的寺院,正式名稱為「真宗大谷派本願寺台北別院」,位於壽町2丁目5番地(今台北市西寧南路36號),於1928年11月24日落成啟用。
1930年12月14日因不明原因起火,整座木造寺院燒毀殆盡。之後寺方決定改採較能耐火、耐震、防風且防蟻害的鋼骨鋼筋混凝土來建造新寺院;本堂外觀採伊斯蘭風格,內部裝潢則是傳統日式風格。本堂工程於1934年9月20日動工,隔年7月舉行上棟式,1936年10月31日竣工,11月7日舉行入佛遷座式。
東本願寺台北別院的新本堂是當時台灣唯一的伊斯蘭風格建築。戰後,東本願寺台北別院被政府改為台灣警備總司令部所用,成為白色恐怖時期的刑場之一。在台灣警備總司令部於1966年遷出後,道教總會和佛教會皆希望接收寺產,但最後於1967年,由台灣省政府售予民間作為商業用途。
1967年6月3日,財政部國有財產局台北辦事處公告,將此處土地出售予民間,基地面積共計2,614坪,採用公開標售方式辦理;6月24日開標結果,由新光人壽保險公司、亞洲水泥公司、南山人壽保險公司,與台北區合會儲蓄公司等四個機構,以及何美慶等七個私人合組的財團,共同以新台幣1億1,126萬元之最高價得標。之後該筆土地辦理變更為特定專用區,新的地主拆除原本的東本願寺,一共蓋了三棟商業大樓,包括獅子林新光商業大樓、來來百貨公司和六福西門大樓。
獅子林新光商業大樓是由新光及華南集團,共同投資設立獅城開發股份有限公司興建,由蔡正義、楊錫文建築師設計,於1977年2月2日開工,採預力無樑板結構系統,5樓以下規劃為商店街、電影院、超級市場,6樓至9樓為小套房,10樓設有餐廳,於1979年3月30日開始營業。獅子林大樓裡最特別的是南北兩側街角各有兩部透明電梯,小時候去獅子林搭乘透明電梯時,最喜歡搶電梯裡靠玻璃的位置往外看。
照理說,獅子林、來來、六福,應該足以成為一個繁華的商圈,但由於建築設計不良,消防設施不足,結果屢傳火警,導致商圈一度沒落黯淡,甚至還曾經用鐵皮圍住,禁止民眾進入危樓,不少店家被迫歇業好一陣子。
歷經多次的經濟蕭條與祝融肆虐,撐過黑暗期的店家雖仍選擇在此處營業,但獅子林已不復當年榮景。
獅子林新光商業大樓目前被歸為第四種商業區,共10層採分租店面方式經營的類百貨公司。B1目前是World Gym健身房,一樓多為手機通訊百貨,有數十家手機店;二樓為台北最大禮服與婚紗的訂做市場,內有數十家禮服裁縫店;三樓為電動遊樂場(小時候很愛去那裡打電動,但後來覺得環境太複雜,不是很安全,便很少去了…);四樓與五樓早年為金獅、銀獅、寶獅與雙獅四間戲院,2000年改為台北新光影城,內有三間影廳(金獅廳、銀獅廳及寶獅廳);六至九樓混雜辦公室和套房、公寓;十樓為老字號的港式飲茶「金獅大酒樓」。
同時也有37部Youtube影片,追蹤數超過250的網紅偽學術,也在其Youtube影片中提到,趁著春日,前往北投的丹鳳山,一探台北大師信仰的秘境—大師岩與法船石。看著google map嘗試著從普濟寺旁的小階梯未果,又從溫泉路天主巷往上氣圖走土路捷徑,難度太高。好乖乖地回到「熱海飯店」後方的步道進入丹鳳山。山雖小,但步道卻也沒有太好走,除了前段的水泥石階外,後半段幾乎亦是用木板、麻繩拉出來的...
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[ 事務所形象照拍攝 / 逍遙園 ]
去年很高興接受浩 建築師事務所 Hao Architects 的委託,
在他們很有代表性的案場「逍遙園」進行整個團隊的拍攝,
事務所也使用了這些相片更新了他們的網站:
https://haoarch.com/about/
自己本身也是一個對歷史建築很有興趣的人,
我覺得可以在這樣的場域進行拍攝,
不管對我或者對這個團隊都是一件很有意義的事情~
逍遙園是一棟有近百年歷史的歷史建物,
建於昭和14年(1939),
為日本淨土真宗本願寺派西本願寺第22代法主大谷光瑞在台灣之別邸。
2010年登錄歷史建築,2020年11月1日修復完工開園啟用,目前由高雄市政府文化局所管理。
這裡目前完全開放給一般民眾遊憩參觀(疫情期間暫停),
是一個很棒也很有味道的場域~
等疫情結束後大家有空真的可以去好好走走~
#SonyAlpha
#BeAlpha
#婚攝六便士影像團隊
#SonyAlpha官方合作攝影師
#SONY相機代言
#天下雜誌報導
#浩建築師事務所
#形象照
#逍遙園
西 本願寺 派 在 高雄美食客 全台美食/旅遊/生活 Facebook 的最佳解答
建於日昭和14年(1939)的逍遙園
經過了長達10年的重建整修
終於重現風華
百年古蹟真的很有味道
還可以在裡面喝上一碗小本愛玉
超幸福的啦!!!🥰
文章連結⬇️⬇️⬇️
https://yenju670810.pixnet.net/blog/post/166220871
逍遙園
開放時間:
平日11:00-17:00;假日11:00-18:00,週一休園
高雄市六合一路55巷15號
#高雄美食客
西 本願寺 派 在 偽學術 Youtube 的最佳解答
趁著春日,前往北投的丹鳳山,一探台北大師信仰的秘境—大師岩與法船石。看著google map嘗試著從普濟寺旁的小階梯未果,又從溫泉路天主巷往上氣圖走土路捷徑,難度太高。好乖乖地回到「熱海飯店」後方的步道進入丹鳳山。山雖小,但步道卻也沒有太好走,除了前段的水泥石階外,後半段幾乎亦是用木板、麻繩拉出來的一條山路,稍需攀爬。約莫30分鐘,並不久,就可以見到一處很有宗教史蹟感受的區域。一旁的爬山客自言自語:「這看起來好像以前是一個神社喔?!」的確,這裡跟日本常見的「密教+巨石」的聖地蠻相像。
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▓ #大師信仰傳播的殖民路徑
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1896年,隨清日戰爭結束,日本佔領台灣,各佛派從軍佈教,沿著殖民地化的路徑,建築寺院、成立靈場、宣傳教義,以對殖民地理番教化之用。初期來台佈教活動者有真言宗高野派、曹洞宗、真宗本願寺派、真宗大谷派、日蓮宗、淨土宗等六派,其中又本願寺派為大(范純武,1999)。
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其中真言宗帶著強烈的日本密佛色彩,將崇拜空海大師的大師信仰,透過較具現實的傳奇故事,在台進行傳播。日本佛教也運用《台北新四國八十八箇所靈場》(台北新四国八十八ヶ所写し霊場)的參拜慣習,在台北佈教。像是圓山站的護國禪寺、台北天后宮的石佛、北投普濟寺等都是目前殘有的靈場遺跡(中川未来,2016)。
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▓ #溫泉鄉的宗教風景—北投真言宗石窟建築群
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在《北投溫泉の栞》(田中均,1926,昭和4年)裡描述到北投溫泉風情,遊客若欲瀏覽周遭景色,可從山路登上東南方的巨大岩石,其雕刻著弘法大師像,即稱「弘法大師岩」。可能是明治45年(1912),弘法大師的信眾捐贈建造。是台灣少見的佛教石窟。周遭到處都可以看見日治時代的痕跡,整體形式也很有到日本一遊的感覺,像是大阪交野獅子窟寺。詳見姚巧梅老師翻譯的,片倉佳史的《台灣日治時代遺跡》(2002)。
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至於寫著「台湾よ、永に幸なれ。」的網紅打卡點,台灣幸福石。文史工作者認為,這應該是日治時期民眾所刻。現被移到大師岩階梯入口處,還塗上紅漆。整個石窟遺跡已經被列入市定古蹟,也包含石燈籠、石碑、階梯、石垣等,大家去就不要自行隨意移動、刻畫啊~
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▓ #神秘的法船石
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許多遊客尋不著法船石,我也是。繞了半天,終於在一條岔路雜草中看見「大正石船」。1925年該石與建立之石亭,在地文史工作者傳為「台北新四國八十八箇所靈場」的石佛亭,因為上頭刻著「大正十四年」,後稱「大正石船」。不過,亭內的觀音像等,看起來並不像舊時古物,亭中堆放祭祀物、打火機,並在石上掛上「慈航普渡」的木牌,反倒看來有點雜亂。搜尋到網路上的舊照片,似乎遊歷者都很喜愛站立在上面遠眺北投。
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▓ #很有日本風味的普濟寺
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回過頭來講一個走錯的路徑,本以為可以從普濟寺旁上山,但寺院說小路不通。普濟寺初建於1905年,又名為「鐵真院」,戰後改名為普濟寺。寺中供奉湯守觀音,北投民眾都視這座佛寺為溫泉守護寺。佛寺保用台灣少見的日式風格,平面佈局保存極為完整,包括大殿及住持方丈宅院,簡樸淡雅、寧靜莊嚴。旁邊亭中還有一座「子安地藏」,建立於1931年。記得幾年前來訪時,尚未如今天這般修繕完整,長滿青苔的貼梯石牆,盛開的茶花,很適合清幽地發呆一陣子。
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很久沒出國冒險了,沒想到台北市中,就有一處可以運用半天來探秘的地方,也充滿著日治時代的痕跡。整個北投在這幾年也變得非常美麗,頗有回復到某種想像式的、懷舊式的日式溫泉鄉情懷。甚是喜歡。
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延伸閱讀:
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#大阪交野獅子窟寺:https://www.facebook.com/Pseudoscholarship/posts/1177805849073705
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#西門町宮廟中的弘法大師(一):https://www.facebook.com/Pseudoscholarship/posts/1481817682005852
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#西門町宮廟中的弘法大師(二):https://www.facebook.com/Pseudoscholarship/posts/1548311222023164
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參考文獻:
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1. 范純武. (1999). 日本佛教在日治時期台灣 [蕃界] 的佈教事業--以真宗本願寺派為中心的考察. 圓光佛學學報, 253-278.
2. 中川未来. (2016). 植民地台湾の四国八十八ヶ所写し霊場 (特集 近現代の四国遍路). 四国遍路と世界の巡礼= The shikoku henro and pilgrimages of the world, (1), 43-50.
3. 片倉佳史. (2012). 台北の歴史を歩く (その 16) 北投温泉を歩く (その 2). 交流: 台湾情報誌, (860), 17-27.
4. 片倉佳史(2002),姚巧梅 譯。《台灣日治時代遺跡》。玉山初版。
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#週末去踏青
西 本願寺 派 在 ポン酢パスタ-PonzuGames- Youtube 的精選貼文
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【仁王2-Nioh2-】
プレイリスト
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【ストーリー】
時は1555年、徳川家康により天下統一が成される幾らか前の時代。
人と妖怪の間に生まれた主人公は、美濃の国で暮らしながら、妖怪退治や傭兵に明け暮れていた。
ある日、主人公は凶暴な妖怪を討ち果たすも、その過程で自身の妖怪としての力も暴走してしまう。
そこへ駆けつけ、主人公の暴走を止めたのは“霊石”を売り歩く商人、藤吉郎。
二人が戦国時代を”仁王”の如く駆け上がる、「秀吉」の物語の幕開けであった。
二人は美濃の有力武将からの依頼を請け負う形で、霊石集めに励んでいたが、霊石を狙う者の襲撃に遭う。
追っ手より逃れる道中で、妖怪を目の敵にする謎の女「無明(むみょう)」を仲間に引き入れ、尾張へと落ち延びた彼らは、織田信長の家臣に取り立てられる。
桶狭間の戦い、墨俣城の建城といった場で、妖怪の力や霊石による軍勢の強化によって手柄を上げ、さらに蜂須賀小六などの仲間を増やした二人は、織田家中で次第に重きをなしていった。
順調に見えた二人の行く末だったが、その背後には”霊石”のもたらす大きな陰が忍び寄っていた――
【登場人物】
藤吉郎
声:竹中直人
霊石を商う、野心溢れる行商人。主人公の妖怪の力の暴走を抑える、不思議な能力を持つ。守護霊は、日吉大社に祀られる山王権現の使いでもある「真猿(まさる)」。
無明
声:波瑠
無明(むみょう)は、妖怪を狩る一族「ソハヤ衆」の頭領の名。守護霊「八百波姫(やおなみひめ)」は、不幸な出来事により人魚に変じた古の姫君だとされる。
織田信長
声:井上和彦
若き日の織田信長。奇抜な振る舞いや服装を好み、うつけと呼ばれた。服装の各所に南蛮趣味がうかがえる。
守護霊は「豹尾神(ひょうびしん)」。不浄を決して許さない苛烈な神、三宝荒神の化身だという。
濃姫
声:田中理恵
斎藤道三の娘で、織田信長の正室。凛とした美しさと威厳を備えた女性で、氷のように冷たいと思われることもあるが、夫の信長を深く愛している。守護霊の薄氷蝶(うすらひちょう)は、死者の魂との関わりが深いという。
今川義元
声:中尾隆聖
東海道の大部分を支配下におさめ、海道一の弓取りと称えられる大大名。信長の天下統一への道に立ちはだかる、巨大な壁と言える存在。
柴田勝家
声:磯部勉
織田家の重鎮。「鬼柴田」「かかれ柴田」「瓶割り柴田」と複数の異名を持つが、いずれも彼の勇猛さを示すものである。ルイス・フロイスも「信長の時代の日本でもっとも勇猛な武将であり果敢な人」と評している。守護霊は猪笹王。
前田利家
声:檜山修之
槍の名手。血気盛んな傾奇者として知られ、派手な作りの長槍を携えて町を練り歩き「槍の又左」と異名をとった。守護霊は送り犬。
蜂須賀小六
声:三宅健太
川並衆の顔役。川並衆は墨俣一帯に棲む和魂妖怪が緩く連帯した、一種の互助組織である。小六はあやかしの血を引いており、体の各所に河童に似た特徴を持つ。
真柄直隆
声:山本格
朝倉家の家臣。五尺三寸(およそ160cm)もの大太刀、太郎太刀を軽々と振るった怪力の猛将として知られる。姉川の戦いでは単騎で徳川勢に突撃し、十二段構えの陣立てを八段まで突き破ったという。
服部半蔵
声:森川智之
徳川家康に仕える忍者。本名は正成(まさなり)。通称の半蔵は、伊賀国(現在の三重県西部)の忍び衆の頭領が代々受け継ぐ名のひとつ。伊賀衆を指揮して隠密活動に従事する一方、武将としても活躍。槍の達人であり、その武勇は“鬼の半蔵”と称されるほどだった。
本多忠勝
声:玄田哲章
徳川家康配下の戦国武将。通称は平八郎(へいはちろう)。特に功績の大きかった四武将の一人として、徳川四天王に数えられる。徳川家に代々仕える譜代の家臣で、群を抜いて戦功めざましく、圧倒的に不利な戦況でも敵勢を驚かすほどの見事な撤退戦を演じ、“家康に過ぎたるもの”と高く評価された。
雑賀孫一
声:加瀬康之
紀伊国(現在の和歌山県)を本拠とする雑賀衆の頭領。孫一とは雑賀衆の頭領が代々受け継いだ通り名で、本名は鈴木重秀(すずきしげひで)。前作で登場した重朝(しげとも)の先代にあたる。雑賀衆は依頼を受けて各地へ派兵する傭兵集団で、鉄砲や抱え大筒など砲術に長けた。戦は金次第で引き受け、特定の主君を持たない。依頼を受けて石山本願寺に籠もり、織田信長とは熾烈な攻防戦を繰り広げたという。
お市
声:園崎未恵
織田信長の妹。尾張清洲城に暮らし、その美貌は傾国と噂された。新たに織田家に取り立てられた藤吉郎と主人公の活躍を見守る。のち兄、信長の意向により、近江国(現在の滋賀県)の浅井長政に嫁ぐことになる。
斎藤利三
声:小山力也
明智光秀の家臣。光秀と同じ美濃国(現在の岐阜県)の出身だが、正確な出自には諸説ある。美濃斎藤家に陪臣として仕えたのち、光秀の配下となった。光秀に重用されて明智家の筆頭家老として活躍。四国の大名、長宗我部元親に妹が嫁いでいた縁で、織田家と元親の仲介役も果たした。
松永久秀
声:千葉繁
大和国(現在の奈良県)を本拠とする戦国武将。通称は弾正(だんじょう)。主家である三好家を圧倒して当主を亡き者にしたほか、足利将軍家を京から追放するなど、梟雄(きょうゆう)と呼ばれるに相応しい非道を用いて畿内を席巻した。裏切りをためらわず、奸計に長ける反面、茶の湯などを愛する風流人で、高価で貴重な茶器を多数目利きして掘り出し、所蔵したという。
浅井長政
声:興津和幸
近江国(現在の滋賀県)の戦国大名。尾張から美濃へと進出した織田信長と同盟を結ぶため、信長の妹、お市を妻に迎えた。信長の義弟として厚い信頼を受けていたが、突如裏切り、越前の朝倉攻めに向かった信長を急襲する。
明智光秀
声:三上哲
織田家の家臣。美濃国(現在の岐阜県)の出身とされるが、確かな出自は不明である。斎藤家が滅んだ際、織田信長にその才を見出されて仕えることになった。織田家に加わってからは高い教養と軍才をもって信長の信頼を獲得し、新参ながら異例の出世を遂げた。
斎藤道三
声:山路和弘
美濃国(現在の岐阜県)の元戦国大名。下剋上によって大名の座を勝ち取った野心家で、“美濃の蝮”の異名をとる。尾張の織田家と争っていたが、娘の濃姫を織田家の嫡男、信長に嫁がせることで和睦し、美濃の支配を確かなものとした。今は家督を子の義龍に譲り、隠居の身となっている。
深芳野
声:井上喜久子
謎めいた美しい女妖怪。主人公と二人、静かに暮らしていたが、ある日、錫杖を持った謎の男に襲われる。深芳野は最後の力を振り絞り、主人公に小刀を託した。
竹中半兵衛
声:内田夕夜
美濃国(現在の岐阜県)の武将。はじめ斎藤家に仕え、織田家の美濃侵攻をよく防いだ。主君を諫めるために、僅かな手勢のみで斎藤家の本城、稲葉山城を占拠したことがあり、稀代の智将として知られる。
千利休
声:羽佐間道夫
秀吉に仕えた茶人。元は堺の商人。武野紹鴎(たけのじょうおう)に師事して茶の湯を究め、のちに茶聖と称された。はじめ織田信長に召し抱えられ、信長の死後は豊臣秀吉に仕えて側近となる。茶の湯を政治的に利用する信長や秀吉の政策の中心に置かれ、利休は多くの大名に影響力を持つに至った。
斎藤義龍
美濃国の戦国大名。斎藤道三の嫡子。道三の隠居に伴い、家督を継いで稲葉山城主となった。しかし、父の道三とは敵対。道三は娘の濃姫を信長に嫁がせて織田家と同盟を結んでいたが、この義龍の行動により再び美濃と尾張は争うことになる。
果心居士
声:大塚芳忠
錫杖を携え、禍々しく輝く赤い瞳を持つ僧形の怪人。過去に主人公を襲って重傷を負わせているほか、さまざまな事件の影で暗躍する。その正体は謎に包まれている。
【検索用】
#仁王2
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【ストーリー】
時は1555年、徳川家康により天下統一が成される幾らか前の時代。
人と妖怪の間に生まれた主人公は、美濃の国で暮らしながら、妖怪退治や傭兵に明け暮れていた。
ある日、主人公は凶暴な妖怪を討ち果たすも、その過程で自身の妖怪としての力も暴走してしまう。
そこへ駆けつけ、主人公の暴走を止めたのは“霊石”を売り歩く商人、藤吉郎。
二人が戦国時代を”仁王”の如く駆け上がる、「秀吉」の物語の幕開けであった。
二人は美濃の有力武将からの依頼を請け負う形で、霊石集めに励んでいたが、霊石を狙う者の襲撃に遭う。
追っ手より逃れる道中で、妖怪を目の敵にする謎の女「無明(むみょう)」を仲間に引き入れ、尾張へと落ち延びた彼らは、織田信長の家臣に取り立てられる。
桶狭間の戦い、墨俣城の建城といった場で、妖怪の力や霊石による軍勢の強化によって手柄を上げ、さらに蜂須賀小六などの仲間を増やした二人は、織田家中で次第に重きをなしていった。
順調に見えた二人の行く末だったが、その背後には”霊石”のもたらす大きな陰が忍び寄っていた――
【登場人物】
藤吉郎
声:竹中直人
霊石を商う、野心溢れる行商人。主人公の妖怪の力の暴走を抑える、不思議な能力を持つ。守護霊は、日吉大社に祀られる山王権現の使いでもある「真猿(まさる)」。
無明
声:波瑠
無明(むみょう)は、妖怪を狩る一族「ソハヤ衆」の頭領の名。守護霊「八百波姫(やおなみひめ)」は、不幸な出来事により人魚に変じた古の姫君だとされる。
織田信長
声:井上和彦
若き日の織田信長。奇抜な振る舞いや服装を好み、うつけと呼ばれた。服装の各所に南蛮趣味がうかがえる。
守護霊は「豹尾神(ひょうびしん)」。不浄を決して許さない苛烈な神、三宝荒神の化身だという。
濃姫
声:田中理恵
斎藤道三の娘で、織田信長の正室。凛とした美しさと威厳を備えた女性で、氷のように冷たいと思われることもあるが、夫の信長を深く愛している。守護霊の薄氷蝶(うすらひちょう)は、死者の魂との関わりが深いという。
今川義元
声:中尾隆聖
東海道の大部分を支配下におさめ、海道一の弓取りと称えられる大大名。信長の天下統一への道に立ちはだかる、巨大な壁と言える存在。
柴田勝家
声:磯部勉
織田家の重鎮。「鬼柴田」「かかれ柴田」「瓶割り柴田」と複数の異名を持つが、いずれも彼の勇猛さを示すものである。ルイス・フロイスも「信長の時代の日本でもっとも勇猛な武将であり果敢な人」と評している。守護霊は猪笹王。
前田利家
声:檜山修之
槍の名手。血気盛んな傾奇者として知られ、派手な作りの長槍を携えて町を練り歩き「槍の又左」と異名をとった。守護霊は送り犬。
蜂須賀小六
声:三宅健太
川並衆の顔役。川並衆は墨俣一帯に棲む和魂妖怪が緩く連帯した、一種の互助組織である。小六はあやかしの血を引いており、体の各所に河童に似た特徴を持つ。
真柄直隆
声:山本格
朝倉家の家臣。五尺三寸(およそ160cm)もの大太刀、太郎太刀を軽々と振るった怪力の猛将として知られる。姉川の戦いでは単騎で徳川勢に突撃し、十二段構えの陣立てを八段まで突き破ったという。
服部半蔵
声:森川智之
徳川家康に仕える忍者。本名は正成(まさなり)。通称の半蔵は、伊賀国(現在の三重県西部)の忍び衆の頭領が代々受け継ぐ名のひとつ。伊賀衆を指揮して隠密活動に従事する一方、武将としても活躍。槍の達人であり、その武勇は“鬼の半蔵”と称されるほどだった。
本多忠勝
声:玄田哲章
徳川家康配下の戦国武将。通称は平八郎(へいはちろう)。特に功績の大きかった四武将の一人として、徳川四天王に数えられる。徳川家に代々仕える譜代の家臣で、群を抜いて戦功めざましく、圧倒的に不利な戦況でも敵勢を驚かすほどの見事な撤退戦を演じ、“家康に過ぎたるもの”と高く評価された。
雑賀孫一
声:加瀬康之
紀伊国(現在の和歌山県)を本拠とする雑賀衆の頭領。孫一とは雑賀衆の頭領が代々受け継いだ通り名で、本名は鈴木重秀(すずきしげひで)。前作で登場した重朝(しげとも)の先代にあたる。雑賀衆は依頼を受けて各地へ派兵する傭兵集団で、鉄砲や抱え大筒など砲術に長けた。戦は金次第で引き受け、特定の主君を持たない。依頼を受けて石山本願寺に籠もり、織田信長とは熾烈な攻防戦を繰り広げたという。
お市
声:園崎未恵
織田信長の妹。尾張清洲城に暮らし、その美貌は傾国と噂された。新たに織田家に取り立てられた藤吉郎と主人公の活躍を見守る。のち兄、信長の意向により、近江国(現在の滋賀県)の浅井長政に嫁ぐことになる。
斎藤利三
声:小山力也
明智光秀の家臣。光秀と同じ美濃国(現在の岐阜県)の出身だが、正確な出自には諸説ある。美濃斎藤家に陪臣として仕えたのち、光秀の配下となった。光秀に重用されて明智家の筆頭家老として活躍。四国の大名、長宗我部元親に妹が嫁いでいた縁で、織田家と元親の仲介役も果たした。
松永久秀
声:千葉繁
大和国(現在の奈良県)を本拠とする戦国武将。通称は弾正(だんじょう)。主家である三好家を圧倒して当主を亡き者にしたほか、足利将軍家を京から追放するなど、梟雄(きょうゆう)と呼ばれるに相応しい非道を用いて畿内を席巻した。裏切りをためらわず、奸計に長ける反面、茶の湯などを愛する風流人で、高価で貴重な茶器を多数目利きして掘り出し、所蔵したという。
浅井長政
声:興津和幸
近江国(現在の滋賀県)の戦国大名。尾張から美濃へと進出した織田信長と同盟を結ぶため、信長の妹、お市を妻に迎えた。信長の義弟として厚い信頼を受けていたが、突如裏切り、越前の朝倉攻めに向かった信長を急襲する。
明智光秀
声:三上哲
織田家の家臣。美濃国(現在の岐阜県)の出身とされるが、確かな出自は不明である。斎藤家が滅んだ際、織田信長にその才を見出されて仕えることになった。織田家に加わってからは高い教養と軍才をもって信長の信頼を獲得し、新参ながら異例の出世を遂げた。
斎藤道三
声:山路和弘
美濃国(現在の岐阜県)の元戦国大名。下剋上によって大名の座を勝ち取った野心家で、“美濃の蝮”の異名をとる。尾張の織田家と争っていたが、娘の濃姫を織田家の嫡男、信長に嫁がせることで和睦し、美濃の支配を確かなものとした。今は家督を子の義龍に譲り、隠居の身となっている。
深芳野
声:井上喜久子
謎めいた美しい女妖怪。主人公と二人、静かに暮らしていたが、ある日、錫杖を持った謎の男に襲われる。深芳野は最後の力を振り絞り、主人公に小刀を託した。
竹中半兵衛
声:内田夕夜
美濃国(現在の岐阜県)の武将。はじめ斎藤家に仕え、織田家の美濃侵攻をよく防いだ。主君を諫めるために、僅かな手勢のみで斎藤家の本城、稲葉山城を占拠したことがあり、稀代の智将として知られる。
千利休
声:羽佐間道夫
秀吉に仕えた茶人。元は堺の商人。武野紹鴎(たけのじょうおう)に師事して茶の湯を究め、のちに茶聖と称された。はじめ織田信長に召し抱えられ、信長の死後は豊臣秀吉に仕えて側近となる。茶の湯を政治的に利用する信長や秀吉の政策の中心に置かれ、利休は多くの大名に影響力を持つに至った。
斎藤義龍
美濃国の戦国大名。斎藤道三の嫡子。道三の隠居に伴い、家督を継いで稲葉山城主となった。しかし、父の道三とは敵対。道三は娘の濃姫を信長に嫁がせて織田家と同盟を結んでいたが、この義龍の行動により再び美濃と尾張は争うことになる。
果心居士
声:大塚芳忠
錫杖を携え、禍々しく輝く赤い瞳を持つ僧形の怪人。過去に主人公を襲って重傷を負わせているほか、さまざまな事件の影で暗躍する。その正体は謎に包まれている。
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