この記事の監修ドクター:工藤内科副院長 工藤孝文先生 詳しくはこちら 海に囲まれた島国である日本。 私たちにとって、海藻は昔からとてもお世話になってきた食べ物の1つです。 なんと、日本人のお腹からしか見つかっていない、海藻を分解することができる腸内細菌がいることもわかっているくらいだから、日本人と海藻の絆は、強いと思っていいと思う。 そんな海藻の中でも、日本で初めてもずくを機能性表示食品にしちゃったというから、驚きです。 今日はそんなもずくの栄養素や効果効能、そしてもずくを「機能性表示食品」にした「快腸もずく」が普通のもずくと比べて何がスゴイかをまとめてみました。 「もずく」とは? みなさんは、「もずく」は良く食べますか? 海藻って意識しないとなかなか食べないから、毎日絶対に海藻を食べよう!と思っておくことは、腸活をするうえで、すごく有効なことだったりします。 私は、毎日もずくかメカブ、海苔を食べるようにしているので、食べない日はないかもしれません。せっかく日本人に生まれたんだから、もずくを食べてほしいです。笑 もずくはほとんど国産? 実はもずくってほとんど国産なんです。それも沖縄県で作られた養殖もずくがとても多いとか。全国の生産量の約90%が沖縄だといいます。 そういえば、沖縄にもずくの天ぷらってあるよね!あれ、めちゃくちゃおいしい!! 「もずく」の効果効能 もずくはとにかく低カロリーです。100gで6カロリーほどしかありません。もずくで太ろうとしたら大変です。笑 そして、たくさんのミネラルと食物繊維が含まれていることが知られており、腸活中の方にはすごーくおすすめです。 水溶性食物繊維のフコイダン 免疫力を高めてくれる食物繊維として、とても有名なのが「フコイダン」です。 健康番組などで一度は見たことがある方が多いんじゃないかなぁ? 「フコイダン」が水溶性食物繊維の中でも、かなり有名なのは、免疫細胞を活性化させる働きがあることが注目されているからです。 またこのフコイダンには、胃がんや胃潰瘍や十二指腸潰瘍の原因になっているともいわれる「ピロリ菌」が胃壁に付着するのを防いでくれるともいわれています。 ヤクルト薬品工業株式会社のホームページをみてみましょう。 ピロリ菌陽性者11名にフコイダン入りの茶飲料(100mg/日)を10日間飲用してもらったところ、ピロリ菌数が約半分まで減少しました。 フコイダンの摂取によりピロリ菌の低減効果が期待できます。 参考: 半分に減るってすごくない?! ただ、このフコイダン、種類によるという結果も出ています。タカラバイオ株式会社のホームページをみてみましょう。 スナネズミにヘリコバクターピロリ菌を含んだ溶液とフコイダン溶液を経口投与しました。 その後、フコイダン溶液は8時間おきに経口投与を続けました。 次に、菌を投与後、1日目と2日目の胃中のヘリコバクターピロリ菌を計数し、感染率を算出しました。 その結果、ガゴメ昆布由来U-フコイダンに明らかなヘリコバクターピロリ菌の感染抑制作用が認められました。一方、ヒバマタ由来フコイダンにはそのような作用は認められませんでした。 参考: ピロリ菌は、50歳以上の約80%以上が保菌しているともいわれていて、怖い病気にもつながりかねないので、もずくを食べておくという選択肢は、ありな気がしませんか? 水溶性食物繊維のアルギン酸 もずくに含まれる水溶性植物繊維は、フコイダンだけではありません。「アルギン酸」と呼ばれる、別の水溶性食物繊維も注目されています。 もずくに含まれているアルギン酸は、高血圧の原因であるナトリウムを体外へ排出してくれる働きがあります。だから高血圧の方にもおすすめ! 日本経済新聞に掲載された日本家政学会誌「食物繊維のナトリウム吸着能が高血圧自然発症ラットの血圧に及ぼす影響」によると、高血圧の抑制にも効果があると示唆されています。 アルギン酸カリウムを用いた動物実験で、ナトリウムイオンの吸着能が他の多糖類よりも高いことを見いだし、実際にアルギン酸カリウムを摂取させることで体内のナトリウムが排出され、その結果高血圧の抑制に効果があることを示唆しています。 参考: 生活習慣病のほとんどになんとなく効いてくれている気がしてきますよね。もずくって。 カロテノイドのフコキサンチン もずくに含まれるカロテノイドの一種であるフコキサンチンは、ダイエット中の方の味方です。 フコキサンチンには脂質や糖質をエネルギーとして消費して、脂肪燃焼を促してくれるという働きがあるんだって。メタボ予防に効く!ととても注目されています。 フコキサンチンは、マウス実験だけでなく、人間を対象にした実験でも多くの結果が出ているので、信頼性は高そうに思います・・・。 その結果、フコキサンチンをとったグループは、体重と体脂肪が顕著に減り、肝臓と血液に含まれる脂肪も大幅に減少しました。中には、4週間で体重が約1割減り、体脂肪も同程度減ったという結果も出ています。つまり、減った体重の多くは体脂肪の減少によるものといえるのです。 参考: やっぱりもずくに含まれる成分って魅力的だよなぁ。 普通のもずくでさえ、こんなに魅力的なのに、このもずくを機能性表示食品にしちゃったのが、「快腸もずく」です。笑 普通のもずくと快腸もずくの違い [ 44 more words ]
https://www.chounaikankyou.club/article/mozuku.html
同時也有4部Youtube影片,追蹤數超過46萬的網紅Genの本棚食堂,也在其Youtube影片中提到,『アジフライ D定食』 written by 真千子 ごはんお変わり自由!居酒屋「丸」昼定食 A生姜焼き700円 B肉じゃが 700円 Cさばみそ ...
肝臓に良い中国茶 在 Genの本棚食堂 Youtube 的最佳貼文
『アジフライ D定食』
written by 真千子
ごはんお変わり自由!居酒屋「丸」昼定食
A生姜焼き700円
B肉じゃが 700円
Cさばみそ 700円
Dアジフライ 700円
そんな看板をわたしが目にしたのは、ある春の昼下がりだった。
すっぴん眼鏡にステテコビーサンというキャッチの兄貴も黙る格好で、カフー(柴犬と黒い犬のミックス5歳 男の子)を連れて商店街を闊歩していた時、なぜかその文字列が気になってしまった。明確な理由はなかった。きっとハイエナのように餌をもとめる鳩達や妖怪おばばの井戸端会議、頭に轟くパチ玉のはじける音、総菜屋の揚げ物の香り、スーパーから流れるおさかな天国、いろいろな要素が集まってそうなったにちがいない。
D定食をぼうっと見つめるわたしは頭の中で言葉にならない考えをうかばせていた。
(便宜上、言語化しておく)
アジフライ、アジ、アジ、最近いつ食べたっけ、全然食べてない。美味しいんだけどな。揚げ物買うならメンチとコロッケ買っちゃうし。でも昼ココイチのチキン煮込みほうれん草カレーだったし、魚食べたいんだよな。しかし揚げ物。ふとるぁない。はい太らない。大丈夫ふとらない。運動すればいいもの。我慢はよくないわ加奈子。さくさくふわふわなアジフライが食べたい、よく冷えたアサヒビールを添えて。それでいいのよ。欲望のままに生きましょうよ。
いつの間にかカタカナ5文字はきつね色の揚げ物へと姿を変え、抜けるような青空へとひらひら泳いでいった。
決めた。今日はアジフライだ。
思い立ったらなんちゃらと言った具合で、わたしは興奮気味に太一へLINEした。
(今日アジフライにするけど、どう?)
するとすぐに連絡が返ってきた。
よっ、流石は社内一の窓際族。
(どうって、もうアジフライって決まったんだろ?)
(うん、そう)
(僕がアジフライ嫌だって言ったら変わる?)
(変わらない)
(じゃあなんて答えればいいの笑)
憎たらしい奴の笑みが脳裏に浮かび、わたしは迷うことなく既読無視をした。
しかしこの男、こういった性悪さを垣間見せるも、今までわたしが食卓へ出した数々の珍妙な実験料理をすべて「うまい」の一言で片づけ、平らげてきた。今夜も間違いなくそうなるだろう。バカ舌以上に幸せなものはない。
わたしはさっそく総菜屋へ向かい、アジフライ2枚を注文した。店員のおばちゃんは、あいよ!と言いながら紙袋にフライを入れると、横目でこう口にした。
「今日クリームコロッケ安いけど、いらない??」
値札には1個45円と書かれていた。
うーむ。これは。。。
確かに魅力的な金額だが。。。
「どうする???」
「うーん」
「揚げたてだし、こんな安い日なかなかないよ????アジフライにも合うと思うけど?????」
「うーん」
だめよ、だめよ加奈子。今日の昼にやせるって決めたばかりじゃない。来月三奈の結婚式でしょう。こんな生活おくってたら、いつまでたってもその腹巻とれないわよ。
わたしの自制心は何度もそうささやいた。
しかし、彼女はすでに勝利を確信した笑みを見せていた。
「ねぇ、もしかして太っちゃうとか思ってる?大丈夫よ。お姉さん痩せてるし、太ったところできれいなのは変わりないもの。若いうちに飽きるくらい食べておかないと、歳とってほんと後悔するよ」
エスパーの言葉の暴力にわたしは屈し、見事にクリームコロッケを握らされた。
してやられたと思いながらも、歩幅は少しばかり広がったような気がした。
今日は平日ということもあり、いつもは地元住民、観光客でごったがえす商店街も落ち着いていた。
加えて文句なしの良い天気、思わず深呼吸したくなるけれど、花粉症がわたしの邪魔をする。
こういう光景を目にすると、わたしはつくづくシフト勤務の素晴らしさを感じていた。人気のご飯屋さんだってすぐに入れるし、映画も予約せずに見られる、旅行だってふと思い立った時にいける。これが恋人や子供ができるとまた変わってくるのだろうけれど、その兆しは笑えてしまうくらい何もない。
太一とは昔に色々あった。
奴は一応男で、わたしは一応女だったもので。
今となってはその面影はまるでないが、私たちは未だ同居を続けている。
お互いこの街が好きだからとか、痴情のもつれでカフーに寂しい思いをさせたくないとか、二人とも高給取りではないとか、まぁ理由を上げればキリはないのだが、一言で言ってしまえば、この生活が楽なのだ。
彼は土日休みだし、友達もあまりいないから、わたしがいない時でもカフーの世話ができるし、家事も全般できる。怒らないので喧嘩も一切ないし、話し相手にもなってくれる。できた奴なんだ。
ただ、互いに恋愛感情はどうしたって湧かない。それは周りに流され無理して付き合っていた頃も同じだった。
わたしたちは人生で一度も恋をしたことがない。28を過ぎたとき、もうそういう体質なのだと受け入れてから、気持ちが随分楽になった。
とはいえこれが世間一般様に微笑まれる生活でないことはよく分かっている。
別れてから半年ほど経ったころ、友人の三奈に軽い気持ちで引きずり同居について話してみると、彼女はとても怖い顔になって「ねぇかなこ、みなの話をよく聞いて」とわたしの腕を強く握った。
まぁ、そうなるよねと思いながら、わたしはこの事を、二度と誰にも話さないことを決めた。
いつか太一にも素敵な出会いがあるかもしれない、見た目は結構いけてるし。アプローチしてくる女の子はそれなりにいるらしい。もしそこで交際に発展したら、私は泣いて喜びはしないが「まぁ頑張れよ」とにやつきながら捨て台詞を吐き、そして肩を叩くくらいはするだろう。彼の幸せを嘘偽りなく、心から願っている。
スーパーへ着いた。カート置き場脇のおばあちゃんの座るベンチにカフーのリードを結び、わたしは食材をせっせと買った。キャベツも特売、ニンジンも特売、トマトも特売、納豆も豆腐も豚肉も特売、気づけば買い物かごはいっぱいになっていた。
レジへ進むと、街の飲みとも西田にあたった。名前は知らん。
「お、おつ」
西田はそう言いながら、いつも通り見事な手つきで商品をバーコードリーダーへ通した。
「おつ~」
「今日休み?」
「うん」
「夜空いてない?瑠璃ちゃんがヴィーナス(※)行けるって言ってるんだけど」
(※)ヴィーナス・・・わたしと西田が行きつけの高架下スナック。
「ごめん、今日アジフライ食べたいから」
「アジフライ?」
「そう、惣菜屋で買っちゃったし」
わたしは惣菜袋を西田に見せつけた。
「滝つぼ(※)で食べればいいじゃん」
(※)滝つぼ・・・商店街のはずれにある、持ち込みありの大衆居酒屋。
「うーんでもね、今日は家の気分」
「そんな日もあるわな。ほなまたな」
「またな~、瑠璃ちゃんによろしく」
「あいあいさー」
買い物袋を肩にかけて店を出ると、おばあちゃんがカフーに焼き芋をあげていた。
あーあーとわたしは思いながら、彼女に外向けの笑みを見せて会釈した。
「どうもすみません」
「ごめんね、お芋あげちゃった」
「いえいえ、お芋なら大丈夫ですから。分けていただいてありがとうございます」
カフーは非常に満足そうな顔でおすわりしていた。
「かわいいこだねぇこのこ」
「うちの自慢の息子です」
「うちもずっと犬を飼っていたんだけれどもね、私の足腰が弱ってるからもう飼えないのよ」
「そうなんですね、うちの子で良かったらたくさん撫でてくださいね」
「ありがとう。じゃあもう少し撫でさせてもらうね」
おばあちゃんが十二分にカフーを撫でたところで、わたしはリードを解いて彼女に別れを告げた。
角を曲がってカフーの姿が見えなくなるまで、おばあちゃんは手を振り続けていた。
築30年の由緒正しいマンションに帰り、彼の足をウェットティッシュでよく拭いた後(めちゃ嫌がる)、冷蔵庫に食材をしまった。そしてソファに仰向けになった。脱力である。
太一のやたらこだわったオーディオでクラシック、ジャズ、ポップスのミックスリストをかけ、西日に当たりながら原田マハさんの新刊を読む。これ以上に贅沢なことなんてそうそうないさ。
これがまた面白い。わたしの意識は渦を巻いて紙面に吸い込まれた。
時計の長針はぐるぐると周り、気づけばドアが開いて太一が帰ってきた。
「なんだ、しっかり生きてるじゃん」
彼は呆れた顔をして言った。
「早いね」
わたしは時計を見ながら言った。まだ18時前だ。
「いくら連絡しても既読無視だから、車にでも引かれたのかと」
「すまん、返信忘れてた」
「そんな事だろうとは思ってた。今日は時間休使ったんだ、年休貯まってるし。カフーただいま」
太一が撫でると、奴はわたしが撫でるときの倍は喜ぶ。なぜだ。やはりいいハンターってやつは動物に好かれちまうのだろうか。
「まだご飯なんも作ってないや」
わたしはそう言いながらよっこらせと身体を起こした。
「まだいいよ」
「今日金曜ロードあるから、早めに食べなきゃならんのだ」
「なに?」
「アズカバン」
「なるほど、そりゃ楽しみだ。何か手伝う事ある?」
太一はスーツを脱ぎながら言った。
「じゃあ千切り作っといて」
「おっけー」
彼は手を洗うと、炊飯器をセットした後、ちゃちゃっとキャベツを千切りにした。滅茶苦茶上手いのには若干腹立つ。本当に器用な人だ。器用すぎるからこそ、いろいろ苦労もあるのだろうけれど。
わたしは買ってきた野菜を切りそろえ、冷凍の豚肉をぽいと入れて豚汁を作った。
それからアジフライとクリームコロッケをトースターで温めてさくさくを蘇生させた。
大きなちゃぶ台に白米とアジフライ、豚汁を置けばD定食の完成だ。二人でソファに座るときは、間にカフーを挟んでおく。
「それじゃあいただきます」
「いただきます」
限界まで冷やしたアサヒの缶ビールをあけ、小ちゃいグラスに注ぐ。太一は弱いから私はたくさん飲めてありがたい。とは言え最近は肝臓の老いを感じ、2缶までと決めていますが。
にしても久しぶりに食べるアジフライは期待を裏切らないサクフワだった。それにトロまで入っている。こりゃ参った。それを冷えたアサヒで流し込むと、脳内超新星爆発だ。
「あー美味いわこれは」
太一は笑いながら言った。
「でしょー」
「久々に食ったなアジフライ。豚汁も美味いなぁ」
彼はいつも通り大きな口でよく食べ、言わせなくても勝手にうまいと言う。
この生活はあとどれくらい続くのだろうね、太一くん。
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【まとめのまとめ】
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ユネスコの世界無形文化
遺産に登録されたのを機に
「日本食」への注目が
国際的に高まるなか、
東北大学の研究グループが
今から40年ほど前に一般
家庭で食べられていた食事を
4週間食べ続けたところ、
ストレスの軽減や体脂肪率の
低下などの効果があることを
確認した。
日本人の平均寿命が延びた
要因の一つにあげられる「日本食」
日本食に使われる特有の食品
成分が影響していると考えられ、
世界中で多くの研究がなさ
れているが、
これらの研究は、特定の食品
成分にだけ焦点が当てられ、
「日本食」全体を調べた研究はない。
東北大学大学院の都築毅准
教授らのグループはかつて、
現代と過去の日本食を
マウスに食べさせる実験で、
1975年ごろに食べられて
いた食事が、
肥満を抑制し糖尿病や脂肪肝、
認知症を予防し、寿命を
延ばすうえで、
最も健康に良いことを確認。
今回の実験では、
年齢20歳から70歳までの
BMI指数が24?30
以下の軽度肥満者
(60人)と健康な人(32人)
の計92人を対象に、
1975年の日本食と現代の
食事を食べてもらった。
1日3食28日間食べて
もらったあとに、
健康診断を行ったところ、
1975年型食事を食べて
いたグループでは、
BMIや体重が明らかに減り、
悪玉コレステロールや
糖尿病の指標となる
ヘモグロビンA1cが減少
傾向を示す一方で、
善玉コレステロールは増えたという。
また健康な人32人を
現代食と1975年型の
食事を食べる2グループに
分けて実験した結果、
1975年型の食事を食べた
グループでは、
ストレスが軽減されて、
運動能力が良くなることがわかった。
実験で再現した
1975年型の食事の特徴は、
▽主菜と副菜を合わせて3品
以上になるよう、
さまざまな食材が少しずつ
使われており、
▽調理法では「煮る」
「蒸す」「生」が多く、
食用油を多用する「揚げる」
や「炒める」は控えめだった。
▽食材では大豆や魚介や野菜、
果物や海藻、きのこ、緑茶を
積極的に摂取しており、
▽調味料では出汁や醤油、
味噌、みりんなどの発酵系
調味料が多く使われていたという。
実験を行った都築准教授は
「約40年前の日本食が
健康にいいと広めることで、
現代の食生活を見直す食育に
役立つことが期待できる」
と話している。
粗食にしろと?
その通りだと思うよ。
いい線突いてる。
粗食どころかむしろ栄養
満点で豪華な食事に見えるが…
朝からボリューム満点やん
昼いらんわ
俺もそう思ったが、もしか
したら朝を抜いたり軽くして
昼夜その分食べるから不味いのでは?
と思えなくもない
昼飯はそもそも必要ないしな
昔は1日2食だったんだから
昔は慢性的な食料不足だったからだろ
化学調味料や加工物、
どこの国で採れたかも
わからない食材だらけの
今より悪いはずはないわな
40年前なら今より悪かったよ
菓子にはサッカリンにチクル、
ハムやソーセージは発色剤で
真っ赤っ赤、
なんにでも味の素
味の素は狂ったようにかけ
まくってたな。
確かに。
あれは何だったんだろう。
その時代の真っ赤なの
ソーセージは着色料
今の美味しそうなきつね色の
ソーセージが発色剤
その発色剤と保存料の
コンボが劇悪らしいよ
赤いソーセージは全然マシ
赤いソーセージの金具剥き辛かったな
良く見ると、献立が非常に
ワンパターン
貧しさが透けて見える
今よりはずっと裕福な家庭が
多かった。
知性も品格もあり、日本人が
一番全うだった時代。
ただ、今ほどの物の品数が
無かっただけ。
飯だけじゃないんだよな。
昔の人間はとにかく良く歩いた。
さらに遡って江戸時代の
人間なんかは50キロぐらい
平気で歩いた。
交通手段が発達してないから、
そりゃ歩くしかないよね
江戸時代後期の白黒写真で
飛脚を生業としてる人の
写真を見たけど
細マッチョってこういう人の
ことを言うんだなって
思うほどの体つきだったわ。
【飛脚】
急を要する書類・金銀などの
小貨物を配達する人夫。
律令制の駅馬に発し、
鎌倉時代は京都・鎌倉間に
早馬があった。
江戸時代には駅伝制が急速に発達、
幕府公用の継ぎ飛脚、
諸藩専用の大名飛脚、
民間の町飛脚などがあった。
1871年(明治4)郵便
制度の成立とともに廃止された。
飛脚の食事が質素で驚いた
外人が肉を食べさせたら
飛脚が走れなくなった話は有名だな
栄養学なんてまだ全然解明されてない
住んでいる風土に適応した
個体が生き残って繁殖した
結果が民族だからな
魚を蛋白源にしていたのがいきなり肉
(それもこの時代だと質が
悪いのしか日本では手に入らない)
なんか食ったら五臓六腑が驚くわw
明治時代に日本に来た
ドイツの技師が飛脚の身体
能力がズバ抜けていることに
驚いて何を食べているか
聞いたら玄米と漬け物だけ
じゃあ肉を食わせたら
どんだけパワーアップする
のかと食わせ続けたら
みるみる痩せ細って半端なく
遅くなったらしい
40年前なら、車に乗っ
てない人も多かったんじゃね?
運動量が今より多いと思う。
今じゃ、父ちゃん、
母ちゃん、息子に娘が全部車
乗ってる時代だぞ。
食事の問題じゃねえんだよ。
40年前なら既に一家に一
台車があるし、
家族一緒にってのが普通だったから
皆車で移動してたのは今と
変わらんよ。
それにには食事だけで差が
出たと書いてあるだろ?
んなことはない
うちの近所のオッサンたちが
俺の親父も含めて、
2台の車でソフトボールの
試合に日曜日ごとに行ってたわ。
そもそも絶対的交通量が
今とは比較にならん。
団塊ジュニアで子供があふれ
かえってた時期なのに、
今みたいに通学路歩くのも
おっかなびっくりなんて
ことは無かった。
牛肉はまだ高級品でクジラ
肉がよく食べられていたし、
米はまもっと安かったから米
食えの時代だったし。
たしかにクジラしょっちゅう
くってたがハンバーグだの
焼肉だのステーキだのもよく
くってたがな。
40年前小学生時代。
秋田の山奥。
当時の好物が馬肉ステーキで
九州の親戚に遊びに行った
とき何食いたいと聞かれて
馬肉ステーキと堪えたら
ふざけないでと言われた。
九州では馬肉は刺身で食うもんだ
当時は馬刺し知らなかった。
九州と言っても福岡だから
馬肉自体普通には売っ
てなかったらしい。
あとクリスマスにはターキー
丸焼きしてた。
考えたら今よりいい生活してたな。
まあ方向性としてはその
通りで肉や油ものは
少なかったし塩味噌醤油酢
みりん砂糖が味付けの基本だったね
当時は酸っぱいミカンが最後に残った
今はみんな甘くておどろくよ
酸っぱい方が体には良い
食卓に並んだもんの記憶は
小学校低学年ぐらいからしか
ないんだけど、
35年前の時点ではもっと肉
っ気多い献立の家庭が
多かったんじゃないかと思う
多分40年前でもこんな
魚ばかりな感じではない
地域差じゃね?
肉はカレーや肉じゃがに入っ
てるぐらいだったわ。
たまにすき焼き。
オレンジ牛肉輸入自由化って
しらんかね
昔は牛肉がすごく高かったんだよ
食卓に魚よか肉の方が多く
なったのは安い輸入肉が
出回るようになってから昔は
オージービーフもなかった
輸入はアメリカ肉だけ
マウスじゃなくて初めから
人間でやれよ。
夕食のメイン魚しかねえじゃん。
キツいな
昼食の真ん中、この当時の
ウインナーの色は赤かった
犬は庭に鎖でつながれてぶっ
かけご飯を食べされていた時代
1975年なんて日本は公害
地獄だったはずで健康に良い
時代なわけない
食べ物も汚染されてるよ
よっぽど今の方がマシだ
蒸し物は本当に食べなくなったねえ
昔は肉が高かったから煮物に
入ってたのは厚揚げかちくわだったな
40年前というと、塩分
大好きな東北と薄味の
大好きな関西とでかなり差が
あるとおもう。
21世紀の今日日ですら、
脳卒中の上位県は東北だし。
関西は薄味って聞いてたけど、
ただの思い込みだよ
全然薄味じゃない
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【まとめのまとめ】
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父親が先月●んだ
話すあてがないので、
ここに書き込ませてもらいます
お悔やみ申し上げます
ご冥福をお祈りします
南無
ありがとうございます。
とりあえずスペック
自分:23歳 看護師志望
父親:享年55歳 肝臓
がんだったようです
御愁傷様でございました
ハンカチ握りしめて見てるぞ
辛い
55は早いね
残念だ。
お悔やみ申し上げます。
皆さん、お気遣い
ありがとうございます。
ただでさえ文才がない上今も
動揺しておりますが、
どうかお付き合いください。
ゆっくりでいいよ
落ち着いてからでも大丈夫だよ!
ありがとうございます。
女?
女ですよ。
小学生の時から看護師になる
ことが夢だった。
可愛いナース服とか、
病気で不安なときも笑顔で
話しかけてくれる優しさとか、
全てが自分の憧れだったんだ。
だからもちろん、高校生に
なっていよいよ進路を。
というとき、
とある国立大学の看護学部に
行きたい、
と親に話したんだ。
私の努力を誰よりも認めて
くれていた親だ。
きっと応援していて
くれるだろうと思っていた。
だが、だめだった。
父親が反対してきたんだ。
ここからは看護師や看護師
志望の学生さんたちに大変
失礼な話になるから申し訳ない。
父親の意見は、
「せっかく良い私立に入る
ことが出来たのに、
何だってそんなに汚い仕事に
就こうとするんだ」
「看護師になるくらいなら
医者を目指せ」
というものだった。
そのときのことは今でも
鮮明に覚えている。
泣き叫びながら父親に殴り
掛かったっけw実の親に対して、
とんでもない暴言も吐いた。
結局私は父親に一発殴られた
後母親にたしなめられ、
自室に戻って泣きながら寝た。
このときから、私は父親を
嫌いはじめるようになった。
まず、父親と二人きりで外出
しようとしなかった。
母を交えて三人で出かける
ことはあっても、
父親と目は合わさない。
ツーショットなんてもってのほか。
そして、父親の前では
意地でも笑顔を見せなかった。
母親が冗談を言っても父親が
でっかいオナラをしても●ー
1グランプリが放送されていても。
なんというか、こうして
書き出してみるとなんて
つまらない意地だった
んだろうという感じがする。
だが、当時の私には私なりの
プライドがあった。
父が「看護師」という職業を
見直して私に謝ってくれるまでは、
なんとしてでも意地を張り
続けなければならないと
思い込んでいた。
しかし、結局父から私への
謝罪はないまま私は家を出た。
(ちなみに、私から父に謝る
気もさらさらなかった)
見事第一志望校に受かり、
看護学を修めるために
一人暮らしをすることになったのだ。
出発の日、見送りに来て
くれたのは母親と飼い犬だけ。
「ああ、私はこれで
お父さんと絶縁しちゃうんだろうな。
お父さん、
バイバイ」
とぼんやり考えながら
飛行機に乗った。
あれだけ父親に嫌がらせを
していたくせに、
このときだけは年甲斐も無く
ぽろっと泣いてしまった。
あの時、名前も知らない私を
慰めてくれた隣の席のご夫妻。
ありがとうございました。
「立派なナースになりなさいね」
と言ってくださったことは
今でも忘れません。
元気出せよ
お前らしくないぞ
ありがとうw
お茶入れてからまた来ます
ただいま
続きです
大学生活は本当に楽しかった。
ずっと学びたかった勉強を
教えてくれる先生がいる。
同じ志を持って高め合える
友達がいる。
看護師になった先輩の、
地元では決して
聞けなかっただろうリアルな
話を聞くことも出来た。
充実した毎日だったが、
私にはわだかまりがあった。
父のことだ。
この頃にはもう、私は自分の
行いを猛省していた。
あくまでも私のことを心配
してくれていた親に暴力を
奮い暴言を吐き、
長くにわたってつらくあたってきた。
実家に帰る機会はきちんと
あったので、
その度に
「今日こそはきちんと謝ろう」
と決心していたが、
いざ父の顔を見ると
どうしても素直に謝れないんだ。
たった一言「ごめんなさい」
というだけなのに。
そんな中、始めに書いた通り
父親が急逝した。
「急」といっても私が父の
病状を知らなかっただけな
んだけどね。
母曰く、余命宣告は受けて
おり父本人もそれを知っていたが、
「●●には絶対に知らせないでくれ」
と頼み込まれていたために
私に最後まで連絡
出来なかったということだった。
それを聞いて、大変な
身勝手だが、心が抉られる
ような気持ちがした。
やっぱり父は私のことを
恨んでいたんだ。
父も私とは絶縁した気でいたんだ。
と。
私は心のどこかで父に甘えて
いたクズだったんだと思う。
「実はとっくに許して
もらえているんじゃないか?」
とたかをくくっていたんだ。
私は父の葬儀のために
しばらく実家にいたが、
「親が●んだ」という実感は
なかなか沸かなかったな。
父が使っていたベッドは
やっぱり父のにおいがしたし、
父が作ってくれた犬用
ベッドも私が家を出たときの
ままそこにあった。
葬儀も淡々と取り行われ、
私は特に取り乱さなかった。
そしていよいよ、明日私が
帰るという日の就寝前に、
母親が私を呼び出した。
寝る前にリビングに呼び出さ
れて「ここに座りなさい」
なんて言われるもんだから、
父に代わって恨み言でも言わ
れるのだろうかと内心びく
びくして座っていた。
母が取り出したのは、
新品ピカピカ、きれいな
桜色のナースサンダルだった。
しかも、高級なやつ。
いつまでも俯いて黙っている母に
「これどうしたの?もしかして、
私に買ってくれたの?」
と聞くと、
「それはお父さんからの
プレゼントよ」
と返ってきた。
聞いた瞬間、大粒の涙が
目から零れたのが分かった。
嘘だ。
あんなに看護師になることに
反対していたじゃないか。
母は、その他にも次々と
色々な品物を出してきた。
万年筆、ちょっと高級な財布、
いかにも女子大生が
好みそうなデザインの可愛い腕時計、
飼い犬によく似た大きなぬいぐるみ…
これが誕生日プレゼント、
これがお雛祭り、これが入学
祝い、これがクリスマスプレゼント。
説明する母の声は震えていた。
こういう状況だと他人の
温かさって偉大だよね
いる人がいなくなるってのは
やっぱり悲しいよ
涙腺大崩壊
あれ?
このスマホなんで画面が濡れてんだ?
吹いても取れねーや、
赤ん坊だった時以来初めて、
私は泣き叫んだ。
後悔が波のように押し寄せてきた。
友達とケンカをすると、
いつも私の味方になってくれた。
勉強を教えてくれた。
色々な所に連れて行ってくれた。
美味しいものをたくさん食べ
させてくれた。
私が赤ん坊だった時、
どっちが私のおむつを
替えるかでお母さんとよく
ケンカしてたんだよね。
浪人してへとへとだった私の
体を気遣って、
勢いで電気毛布まで買ってきた父。
それを私は仇で返した。
本当は好きで好きで
たまらなかったのに。
また一緒にお出かけしたかった。
ママに内緒でキスしたかった。
「パパ大好き!」って、
年甲斐なく言いたかった。
でも、それは私のつまらない
意地のせいで二度と叶わない
ものになった。
帰省したときの、「ミオ。
昼飯食いに行こうや」という
あの無愛想な父の声が、
こんなにもかけがえのない
ものだったなんて、
父が生きていたことには
考えもしなかった。
長い間言えなかったけど、
お父さん、ごめんなさい。
無愛想だけど紳士な
お父さんのことだから、
あっちでは新しい友達と
仲良くやっていることでしょう。
次もしお父さんの元に
生まれ変わることが出来たら、
きっともっと素直で親思いな
子供になってみせます。
それと、ありがとう。
私はもうすぐ、念願かなって
看護師として働き始めます。
お父さんがくれたサンダルが
ボロボロになる日も近いかもw
勝手ですが、どうか見守って
いてください。
ここまで私の愚痴に
付き合って下さった皆さん、
父を悼んで下さった皆さん、
ありがとうございました。
私が言えたことでは到底
ありませんが、
皆さんはどうかご両親を
大切になさってください。
ミオ、いい歳こいて父親と
キスは異常だぞ
そうか?
人によっては当たり前と
思ってたんだけど、
西洋かぶれかなw
お父さんは全て分かってるよ
だって55年も生きたし親だしね
板挟みのお母さんも辛かった
んじゃないかな?
支え合って仲良くね
ありがとう
今の時期は心のうちを
吐き出すというのも大事なことだな
聞いてくれてありがとうね
泣いた
看護婦
(あえてこう書く)
は昔から3K職に挙げられてたし、
医者と看護師、患者の
関係というのを考えたときに
なれるなら医者になれという
意見は頷くところはある
後腐れがちょっとですむ位の
諭しにしておいたほうが
よかったとは思うが
子どもがなりたいものを
全力で否定する親もよくわからんな。
バンドマンとかならまだしも。
親の反対くらいでやめる奴は
どっちにしろ中途半端で
終わるからだよ
反対おしきって引くに
引けない状態になれば
簡単には逃げれないだろ